休みの日
今日(昨日)は特にこれといって何もしていない。
ぼーっとパソコンを眺めたりしていると気がつけば暗くなってきた。
暗くなって腹が減ったのでカップラーメンを食べた。
明日も明後日もこういう日が続けば良いなと思う。
休みの日になると、毎日思いを巡らせている
休みの日だけでは無く、仕事中のふとした時にも考えている
「どうすれば労働せずに暮らせるか」と考えている。
とにかく、「特にやりたくは無いが何かしなければならないことがある」という状態が嫌だ。
他人に頭を下げたり。説明したりするのが嫌だ。
ぼーっとしていたい。
他人が近くにいると何かと気を使わなければならない。
一人でいたい。
今は一人で少し広めの賃貸アパートの一室に住んでいる。
テレビは無い。置かないことにした。受信料を払うのも癪にさわる。
特に熱中することもない。
「何か熱中するもの」が必要だという人もいる。自分はそうは思わない。
熱中することがなくても、好きなことがなくても、明日は来るし、人生は続く。
時々、「ふっ」といなくなればいいなと思うことがある。
机に座っているが、自分がいなくなって、それ以外のものがそのままの状態。
飲みかけのコップ、脱いだ靴下、乱雑においた本、そのままで自分だけが跡形もなくいなくなる状態。
自分以外に関する関心が少しづつ薄れてきた
「嫌われても良い」「クビになっても良い」と思える様になった。
本当は違うのかもしれないが「人は大抵自分のことしか考えていない」とわかる様になってきた。
他者の気持ちはわからないし、他者も自分の気持ちはわからない。
自分が気にしているのは「他者からどう思われるか」であって「他者が何を思っているか」ということはほとんど気にしていない。
”助言”なるものをする人間が考えていることの考えの根底は
「他人のことを慮っている自分」や「慮ることによって感謝される自分」だと思う。